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東京都出身 大川道彦・淑子さん
 
ゴールドコースト生活19年になる大川ご夫妻。日本人にとってオーストラリアもゴールドコーストもまだまだ遠い存在だった頃、産まれたばかりの赤ちゃんを抱えて移住してこられました。その思い切った決断やこれまでの長い年月をしみじみと振り返っていただきました。大川ファミリーとゴールドコーストの歴史ともいえるインタビューになりました。  
 
なぜオーストラリアへ移住しようと思われたのですか?
道彦さん
「僕はね、20年前にちょうど再婚しまして、彼女のお腹に赤ちゃんができたとわかった時に、東京で育てたくないっていうのが一番にあって、北海道とか九州とか自然の多いところを探していたんですよ。それで、自分の趣味がゴルフだったので、できればゴルフ場の近くがいいかなっていうのがありました。そしてその時に、友人が不動産関係の仕事をしていまして、バブル絶頂の頃ですから、オーストラリアにホテルを建てるというのでゴールドコーストへ行って、帰ってきた時にあるゴルフ場のサウナの中でオーストラリアの話を聞いたら、すごくいい所だよ、あそこは将来きっと発展するだろうと。彼はディベロッパーという立場から見て、伸びる所だと。気候的にも環境的にもすごく良いという話を聞いていたんですけれど、その時はオーストラリアという国を全然知らなかったので、ゴールド=金っていうことしか頭に残らなかったんですね(笑)。そして、その二日後ぐらいに、テレビでゴールドコーストの事が流れまして、すごく綺麗なところで『ここ、良いね。まぁ、あいつも言ってたんだから、きっといい所だよ』って話していました」
その後すぐ、移住に向けて行動されたのですか?
道彦さん
「僕は思い立つと動くのが早いですから、オーストラリアを知っている友達に話を聞いたり、オーストラリアの本を買い集めたりして。その中に、ものすごい雪山の写真があったので、『オーストラリアって雪も良いんだね』なんて言ったりしていると、間違えてオーストリアの本が一冊紛れ込んでいて……。そんな笑い話もありました(笑)。それで彼女と『飛行機に乗ったら九州に行くのもオーストラリアに行くのも大して変わらないんじゃないか?』って話していて。とりあえず1ヶ月でも2ヶ月でも暮らしてみないとわからないねということで、飛行機のチケットを取って二人でこちらに来る予定だったんですが、お医者さんに今が一番危ない時だから(妊娠中の)奥さんは行かない方がいいんじゃないかと言われまして。じゃあ、僕だけで行ってくるよと来たのが、1月の末ぐらいだったかな」
その時のオーストラリアの印象はいかがでしたか?
道彦さん
「ブリスベンに着いてゴールドコーストに入ってきた時に、なんか、全然違和感がなかったんですよ。昔ここにいたんじゃないかなっていうような感じを持ったんです。そして、友人の彼から紹介されていた不動産屋さんの人間に会うということで、サーファーズパラダイスのホテルに泊まっていたんですが、不動産屋さんの場所がわからないので、歩いている人に聞いたら、『僕もそっちの方へ行くから、連れて行ってあげるよ』って歩きだして。今考えると、距離にして2キロ近くある場所だったんですよ。それで、うわぁ、オーストラリア人ってすごく親切だし人懐っこいなと。お礼を言うか言わないうちに『ここだよ』って教えて、さっさと行っちゃう。そういうのにすごく感動して、とても暖かい国だなと感じました。1ヵ月くらいしかいなかったですけれど、とても気に入って、日本に帰って妻に、『すごく良い所だから移住しよう』って言って、永住権を取ったのがそれから2ヵ月後くらいで。だいたい僕はね、仕事をするのも早いんですよ。やるって決まったら、ぐずぐずしているのが嫌い。早くしないと人に負けるっていうのがあって。で、その間に妻も飛行機に乗っていいよって言われたので彼女も来てみて、すごく良い所だねって。それじゃ、移住しようということでこちらに来ることになったんです。それが今から19年間かな」
突然オーストラリア移住が決まって、奥様はどう思われましたか?
淑子さん
「海外で暮らした経験もなかったんですが、ま、良いんじゃないのって。主人は集中したらタンタンタンってオーガナイズしてくれる人なので、わたくしは考えている暇がないのね。気がつくともう決まっているっていう(笑)。だから、『どうする?』って言われちゃうと考えてしまうけれど、『こうしますよ』って言われると、『はい、そうしましょう』っていうね。大きな決断の部分ではどんどん先に進んでくれるから、そういうことが我慢ならない人もいるかもしれないけど、わたくしは、それはそれで良いと思っているので」
海外での子育てに不安はありませんでしたか?
淑子さん
「2ヵ月半の子を連れて来ましたから、今考えると、すごく慌しい毎日だったというか、追われている毎日でしたね。もし逆に、考える時間がたくさんあれば不安になることもあったのかもしれません。それこそ3時間おきに授乳だったりおしめだったりっていうことがあったので、そういうことをしている間に過ぎてしまって慣れたというか。だから、本当にここでやっていけるのかしら? と思い悩んだことが全く無い感じで。忙しくて良かったのかもしれないですね。ここ2〜3年よね? 私たちはなんていう無謀なことをしたのかしら?っていう感覚を持ったのは。ゴールドコーストに親族も知り合いがいたわけでもないですしね、恐ろしい話だよね。それに、性格的に『大変!』って思わないタイプだと思うのね。たぶん物事をきっちりやろうとか、段取りなさる方だったら大変なんじゃない? 私みたいに、とりあえず目の前の事だけをやるっていうのが良かったのかも。特に二人目のお産の時なんか英語もほとんどわからないでしょ? 入院と言われても、もう、まな板の鯉で、好きなようにして頂戴って(笑)」
旦那様と協力してのご出産だったのでしょうね?
淑子さん
「いや、いなかったの」
道彦さん
「それがね、こっちへ来てすぐ二番目ができて。ちょうど上の娘と一年ちょっと違うくらいの予定日で。まだ7ヶ月の頃に、日本へ行かなくちゃならくて、それでお医者さんに上の子が早産だったっていう話をしたら体質的に早産しやすいのだろうから処置をしましょうっていうことで。僕が日本に帰っている間は病院にいてくれた方が安心だったので、彼女は病院、そして僕は日本へ行ったわけです。それで日本に行った次の日に赤ちゃんが産まれましたってFAXが入って。それでまず考えたのが、オーストラリアではお葬式ってどうするんだろう? ってことで。7ヶ月で産まれたなんて、絶対に助かりっこないと思ったわけ。FAXには『奥さんは元気です、赤ちゃんは今検査中です』って書いてあって。1370グラムしかなかったから、今でもアラマンダ病院の極小未熟児の記録ですよ。でも、その子も元気に育って来年には大学生ですからね」
19年前のゴールドコーストには日本人や日本語での情報も少なかったのでは?
道彦さん
「当時ゴールドコーストに日本人は100人といなかったでしょう? だからショッピングセンターで『あっ、日本人だ!』って思うとすぐに声をかけちゃうんですよ。そうしたらチャイニーズだったりね。まぁ、日本の方にはめったに会うことは無かったですね」
淑子さん
「観光旅行で来ている方もまだ少なかったし、高いビルが5本くらいしか無かったですね。私たちが来てからよね、日本の資本が入り始めて高いビルがバンバン建ち始めたのは。だから、ここの景色が変わったよね? とか、ここ林だったよね? っていう所がたくさんありますよ。そういうことを思うと、私たち、ここに長いわよね」
道彦さん
「僕たちがこちらに来た頃には日本の食材屋さんが無かったんですよ。大根も売っていなかったよね? だからブリスベンまで買いに行っていたんですよ。ブリスベンのチャイナタウンで日本食に使えるような物を買っていました。だって、ステーキよりもインスタントラーメンの方が高かったんだから。だから、お野菜も日本の大使公邸に収めるように作っていたものを仕入れて。特に今は、お金さえ持っていたら自分で何でもできちゃうし、日本語も通じるし、食べることも不便ないじゃないですか?」
移住してすぐに物件を買われたのですか?
道彦さん
「僕が来る前に、例の友達がオーストラリアに買い付けに行くんだって言っていたので、まかせるから良い所を買っておいてと頼んで、それで買わせたのがパラダイスウォーターに4ブロックの土地。その友人の目の方が自分より確かだと思ったからね。そこに建て始めて、1年4ヶ月くらいかかったね、延び延び延び延びでね。8月12日が連れて来た子供の誕生日だったので、お誕生日パーティを新しい家でしたいからっていうことで、約束は7月20日くらいだったのかな。それが翌年の5月ですよ、出来たのが。オープニングパーティをしたのが5月30日でしたね。一週間遅れると5000ドルの罰金を取るという契約までして、それなのにどうしてあんなに遅れたのかね?」
淑子さん
「それはそのオーストラリア人に聞いていただかないとね(笑)。まぁ、建物だけじゃなかったからね、家具も全部デザインして作らせましたから。だから、ビルダーさんの作業が終わると今度はインテリアのデザインナーさんとの打ち合わせで」
道彦さん
「既製品のものは何も無かったからね。マリオットホテルやシェラトン・ミラージュ・ホテルを建てた設計事務所なんですけどね。遊んでいいから、面白い家を作ってくれって言って。オーストラリアでも日本でもテレビや雑誌にでましたし。だから色々な角度からの意見や反響もありましたよね。当時ね、総額で2.6ミリオンぐらいかかったかな?」
完成したお家はいかがでしたか?
道彦さん
「そこには7〜8年いたかな。最初の3年くらいは、必ずと言っていいほど日本から泊り客が来ていたんですよね。それで、ある年『あれ? なんか寂しいね』って言っていたら、泊り客がいなくて。考えてみたら、一年の間に泊まり客がいないのがたったの2週間だけだったっていう(笑)。だって泊り客から見たら日本じゃ考えられない家なわけですよ、建坪200坪? ホテルより良かったでしょう。ゲストルームも全部オンスィート(そのベットルームに個別のバスルームが付いている作り)だし」
淑子さん
「トイレだけで7個だもん(笑)」
道彦さん
「そうだね、シャワールームが6個、スパやサウナ、20メートルのプールもあったし。オーストラリアってマスターベッドルームを一番良い所にとるんだよね、見晴らしが良くて。こちら(南半球)で言う北向きの一番良い所で、ぐる〜っとガラスの窓なんですよ。それで、夜になって電動のカーテンを開くと、星空がばあっと見えるんですよ」
淑子さん
「でも、若い時に住む家だと思うよ、広さから言ってもね。それこそ子供たちが勝手に動き出す時期なんかは大変でした。だって、メインベッドルームに忘れ物したら取りに行きたくなかったもん(笑)」
ゴールドコーストでの子育てはいかがでしたか?
道彦さん
「夫婦が仲良くしていたら子供は放っておいても良い子に育ちますよ。これは間違いない。子供に手をかけるなんて不必要、もちろん愛情は持ってなきゃいけないですけどね。夫婦が仲良くて子供がぐれたっていうのはないよ。子供に問題があるのは両親の問題ですよ」
淑子さん
「子供の育つ環境っていう部分を考えると、日本で子育てっていうのは私たちは自信がないねって話しています。それこそ、日本に女の子二人を連れて帰って、この子たちみたいに、こういう子に育つかっていったらちょっと自信がないわねって」
道彦さん
「まぁ、自分の子を褒めるわけじゃないけど、日本からお客様が来ますよね。それで、食事を一緒にしたりして、お世辞もあるかもしれないけど、『日本でこんな子を見たことない』って皆さん言いますよね。というのも、皇室と同じなんですよ。皇室って隔離されているじゃないですか? だから、汚いもの、良くない事は見せないっていうことをして育てられるでしょ? オーストラリアの汚いもの、良くない事は見ているかもしれないけど、それを例えば、真似しようとした時に『お前は日本人なんだよ、日本ではこうじゃないんだよ』って教えられるでしょ? だからそれはしないほうが良いよって。ところが日本にいたら、『あの子もこの子もやっているじゃない? まわりの皆がやっているのに、なんで私はやっちゃいけないの?』って。日本では行動するにしても自分一人で家から出ていけるんですよ、バスや電車に乗って。オーストラリアでは、一度家から出ると、嫌でも夕方にバスは無くなるし。お友達の所に行くって言っても親が送り迎えをするのが当たり前だし。そういう意味では隔離して育てられるんですよね」
淑子さん
「子供たちにしたら可愛そうかもしれないけれど、ここでは幼稚園の時からそうでしょ?お友達の所で遊ぶって言ったら、あちらのお母様に電話して『じゃあ、いついつ遊ばせましょう、何時に送って行きますから』って、それが普通、他の子もそのような環境で育っているから」
道彦さん
「それとオーストラリアの教育は自立させるっていうことが柱ですよね? だからハイスクールを卒業したら自分で生活していくっていうような観念があるんですよね。まぁ、最近は変わってきて、ずいぶん手を焼く親も多いんですけど。自分の将来とか、日本ではこんなことまで考えないんじゃないか? っていうことまで子供が自分で考えますよね。上の子は薬剤師を目指すって言って大学で勉強しているんだけれど、来ている学生の半分以上の子が自分の力で来ているわけですよ。自分が勉強したくて、バイトをしてお金をためて、寮費も学費も自分で払う子がかなり多いわけ。日本では学費も食費も卒業するまでは親が出してあげるもんだよって言うと、娘はすごく感謝してくれますよね。感謝されると、いろいろやってあげたくなるんだけれど。だけどあまり手を出して彼女の自立心を壊しちゃいけないなと思ってますが」
オーストラリアで19年間暮らしてきて、今、何をお考えですか?
道彦さん
「日本でもオーストラリアでも、どこでも良いんじゃない? 僕たちの考えもそういうふうに変ってきましたね。なんでオーストラリアだけに決めなきゃいけないの? っていうような考えに。日本人の感覚では、これは親から譲られた家だから守らなきゃいけないっていうのがありますけど、だけど何故、そこにしがみつくの? って。今回、今住んでいるこのサンクチュアリーコーブの物件の売却をお願いしています。来年は、おそらく下の子もブリスベンの大学に行くだろうし、そうしたらブリスベンに家があった方がいいんじゃないかっていうのがあって。それで、もう子供たちは大学生になって手が離れたのだから、僕たちは今までできなかったことを二人でしましょうって」
淑子さん
「たぶんね、日本では守るっていうのもすごく大事な事だと思うんですけれど、もし、その守ることでの苦しみがあるとしたら、それを離すこととか、他のチョイスもあるんじゃない? っていう見方ができるようになったと思うんですよね。それを守って守って、もちろん乗り越えられる苦しみの時には、それを乗り越えていくことも身になることだから大事だと思うけど、それによって潰されそうになった時に、他のチョイスはないの? っていう発想です。他に目を向ける広さっていうか。逃げるんじゃないけどね。それをちょっと広げられた方々が今、オーストラリアで3ヶ月とか4ヶ月とか滞在しては日本に帰ったりっていう生活をなさっているんじゃないかな」
道彦さん
「オーストラリア人を見ているとね、結婚して二人の時には会社に近い便利なフラット(マンションタイプの住宅)に住んでいて、赤ちゃんができて子育て中には水辺の近くで子供と一緒に遊べるような、広くて明るい家へ移って。それで子供たちが大きくなって大学にでも行くようになったら、今度は山の方で二人の生活をするとかね。そして年をとってきたら、病院に近い所へ移るというようなね、そういうTPOにあわせた生活の仕方っていうのを僕らだってしていいんじゃないの? っていうことをオーストラリアへ来てすごく思うようになったよね。それが一番の大きな勉強かな」
今後の予定をお聞かせください。
道彦さん
「これで子供が離れたら、この20年間にできなかったことを、これから二人でやりたいねっていうのがあるわけ。去年、二人で日本へ3〜4週間ほど帰ったのかな。それがちょうど桜のシーズンで、桜・温泉・ゴルフ三昧で日本中を歩いてまわって。行く所、行く所、桜が満開で、やっぱりこの桜の綺麗さっていうのは日本しかないね、っていう話をしていて。それで、日本のあちこちに友達がいて、遠くから来たっていうので歓待しておいしいところへ連れて行ってくれたんでしょう、食べ物がすべておいしくて。まぁ、その印象がまだ残っているから、中で寝られるような車でも買って、行った先で旅館がとれなかったらそこで寝てもいいじゃないっていうような感じで自由に日本中を歩いてみたいなっていうのが今の気持ちだね。だけど、それもまた飽きるでしょう、体力的なこともでてくるだろうし。そうしたらまた違う国でもいいかなと、カナダっていうのもあるし」
淑子さん
「子供たちが旅立ったりして、今が節目の時だなっていうのを本当に感じています。もうちょっと身軽に動けるようになりたい、そういう状況に身を置きたいなって。だから、今やりたいことができるのであれば、我慢をする必要はないんじゃない? っていうね。とにかく基本的に人様に迷惑をかけちゃいけないと思っています。だけど自分でできる範囲のことであれば、どんどんやっていいんじゃないかとも思っています。よそからどう見られるかとか、他人がどうしているかということよりも、自分がしたいってことをすればいいんじゃない? っていうのがあるわね」

現在のゴールドコーストでは簡単に手に入る日本語情報誌や日本語でのあらゆるサービス、インターネットなど何もかもがなかった時代にゴールドコースト移住を決意され、そして子育てを終え、今まさに、お二人にとって一つの節目を迎えられているようです。その長い海外生活の中で吸収された「オーストラリアでも日本でも世界中どこでもいいじゃない?」という自由な考え方で、これからの楽しみ方を追求されていくことでしょう。今でこそ、海外長期滞在が身近なものになりましたが、常に一歩先を行く大川ご夫妻の今後の生き方が益々楽しみです。
取材・文・撮影/城文子
インタビュー/2005年04月06日